2007年06月18日

HIROSHIMA1945

 ――地獄ってのを見たことがあるかい



 ――僕は、見たんだ。今でも、忘れられない




 ――地獄。


 ――この世が正に、地獄なのだと知ったよ。嫌でも、知らされた




 昭和20年8月6日。

 西暦で言うところの、1945だ。




 僕達日本人は、その業火に焼かれなければなかった、らしい。



 何の為に。


 その時まで生きてきたんだろう。




 日本は世界に酷いことをした?





 その前渡しとして、広島や長崎の日本人は生きながら焼かれなくてはならなかった????




 どう?



 この文章を読まれている方々にも、考えて欲しい。




 かくも無惨に、数多の人々がその生命を代価とし――死ななければならなかった、決定的な理由は何だ???




 人と言う存在は、生命は、『そんなもの』なのか『その程度』のものなのか。



 色即是空。

 空即是色。





 答えは、未だに出ません。


 自分も、八十を数える高齢となった。

 情けなくも――初めて、ようやく、話すことの出来た対象が実の孫である、それも実に情けないことだとは思う。

 しかし、語らずにはいられないのだ。

 あまり面白い話ではありません。でも、聞いて欲しい、感じて欲しい。


 死んだ人達、その『死』が無意味なものでは断じてなかった――せめて、そう考えないと気が狂いそうなのです。




   ◆ ◆ ◆






 その日の広島地方は晴れていた。それはそれは良い天気だった。

 前日までの重い雲もすっかりと散り、朝から雲一つ無い、素晴らしい日本晴れだった。


 私の名は、光橋祐滋(みつはしゆうじ)。広島は山奥、うんと山奥の廃寺然とした、ボロ山寺の住職である。年齢は二十と少し。細君はいない。もっとも、この貧乏寺に嫁に来るような物好きもなかなかおるまいが。

 私はいつものように、朝日が昇るのと同時に起床した。日々の務めにより、自然と体がそうなっているだけの話であったから、大して威張れることでもない。軍隊向きだ、と人には冷やかされるが、胸の持病を抱えていた自分の兵役検査の結果は『丙』。実のところ、もっとも軍隊向きではない体なのではあった。それにしても、仏門にその身を投じた、いや、投じざるを得なかった我が身を思う。父親がそこそこ名の知れた僧であり、それでも何らかの理由で半ばの失脚をして、このボロ寺に放逐された、その事情は薄々と知っている。恐らくは、自分と同じくして、妥協であるとか力、その抜き方の匙加減を知らなかったのであろうと言う推測も、その傲岸不遜な振りからは十全に理解できるところではあった。

 しかし、そんな父も他界して、既に五年。副住職から、住職へと微妙な『位(くらい)』は上がりはしたが、所詮は山寺の貧乏坊主なのである。もっとも、若い男手が軍隊へと取られて久しい今日この頃、地元の尋常学校へ週三日は国語と書道の教員として請われ、通ってはいる。そんな仮初の教師役と、そしてボロ寺の維持、そしてたまの法事が、自分の仕事の全てと言っても過言ではない。

 朝餉(あさげ=朝食)を摂り、本堂の掃除を簡単に行ない、次いで猫の額程の裏庭を確認し、そしてさて、一見は広々とした、けれど手入れのなかなか行き届かない前庭を掃除しようと箒を手に取った、その時だ。

「おや――」

 雲一つ無い、真っ青な空の中で、独特の鈍いエンジン音を立てながら、しかし悠々と飛んでいる飛行機が見えた。

 幸い、と言ってはいけないのだろう。この広島の山奥はまず、米軍の空爆を受けることは無かった。ここを爆撃する程、彼等にも余裕はないんじゃろか。しかしこのボロ寺、それ自身が山の高みに構えていることもあり、市街が空爆を受けている様子はここからでも充分に確認することが出来る。それは、心の痛む風景であり、そしてどこか――他人事の風景でもあった。

 兵役検査で事実上、不必要の烙印を押された拙僧にもしかし、この時の違和感は。

 ――B-29爆撃機が随伴も無しに飛来するとは、これはどうしたことか??

 それ程度の勘は充分に機能したのだ。

 おかしい――

 そう、箒を片手に考えていた時だ。山裾から、大声を上げて自転車を駆ってくる駐在の姿が見えた。やれやれ、齢四十にしてなんとご苦労な……と、感想はそれだけに終わらなかった。

「和尚さんやあい!!」

 只ならぬその様子に、流石の自分も駆け下りる。息を切らせている駐在に腰元の水筒の中身を与えた。

「何があったんですかの?」

 息を切らせつ切らせつ、駐在は口を開いた。

「和尚さん、なんでも『とんでもない』爆弾が広島に落ちたそうじゃ――」

 俄(にわか)には、彼が何を言っているのかは分からなかった。とんでもない爆弾とは? そもそも、『とんでもなくない』爆弾は存在するのか? この駐在が、この手の問答を好むこと、そして折に触れて吹っ掛けてくることを知っていたので、ほんの半瞬の疑心は生まれた。が、とてもそんな面相では無かったのだ。

「とにかく、『とんでもない』そうですじゃ――実際、連絡が全く取れんくなっとる」

 おい、待ってくれ――自分は、自らが混乱の只中に立っていることを知る。

「人も沢山おっ死(ち)んでるらしいです」

 駐在の言葉が、どこまで耳に入っていたかも分からない。

 勘弁してくれ。

 そこで思い起こされたのは、実の弟のことだった。弟の祐悟(ゆうご)――彼は、学生徴用を受けて、呉の鎮守府(=防衛基地)で訓練やら何やらに従事していた筈だった……。

「和尚さん、ラジヲもまるで通じんですよ――これからどうしたら――」
 駐在が泣き顔で言ってくる。正直、自分より年季を踏んでいるはずのそんな役人の泣き言は頼り甲斐も無く、不快ではあった――が、

 何分、自分も若かったのだ。

「広島へ参る」
 そう口に出せば、妙にスッキリとした。駐在は止めてきたが、それでも私は祐悟の安否が気になって仕方がなかった。唯一の、私にとって彼は唯一の家族だった。

 しかし。

 『とんでもない爆弾』という抽象的な言葉が意味するところを、今思えば、私は何も知らなかった。愚かな決断だったのかも分からない。だが、後悔はしていないんだ。今、この時にあってもだ。

   ・
   ・
   ・

 常から何かと世話を焼いて下さっていた近所の方に麦飯の握り飯を作ってもらい、自分は広島市街へと向かった。駐在が、『袈裟を着て行かれた方が何かとええんじゃなかろうか』と五月蠅(うるさ)かったので、簡素な袈裟を羽織っての出立だった――もっとも、坊主頭に袈裟と言えば、時の憲兵が暇潰しにからかってくることもあったから自分としては不服であったが、後になればこれが正解であったことを知った。





    ◆ ◆ ◆

 正直、良く覚えていないのだ。

 自分が、どうやって広島市街へと辿り着いたのか。

 木炭バスを乗り継いで乗り継いで、或いは馬車であるとか奇跡的に動いていた汽車、その類を乗り継いで、ともかく自分は広島市街の外れへと降り立った。


 ……。


 …………。


 なんだ、これは。



 これが、自分の知っている『広島市街』だと言うのか。





 平ら。



 平ら。



 真っ平ら。







 なにこれ。



 なあんもないじゃないか?



 心も虚ろに歩き出した、その直後だった。
「和尚様――」
 か細い声が、私を引き留める。振り向けば、ボロ雑巾さながらの身なりをした老婆だった。
「和尚様――」
 袈裟へと縋(すが)ってきた、その指は所々が欠損しており、皮膚が抉(えぐ)れていた。そして、大変な異臭。
「何か――」
 あくまでも平然を装ったが、どこか無理が効いてあったかも分からない。実際、自分の意識、最大の懸案事項は実弟の所在、健在の有無にあったのだ。そして、何よりもこの時の自分は『現実』に意識が着いて行っていなかった。
「和尚様あああ――お念仏を、お念仏を――」
 欠損した指が示す先。そこには――

 カツテ『ヒト』ダッタモノ

 が山積みとなっていたのだった。第一印象は『炭』だ。しかも、生焼けの――。

「和尚様――お念仏を、せめてお念仏を――おおおおおおおお」

 自分は、老婆に恥じた。どうやら彼女は、全く縁も縁(ゆかり)も無い、『それら』を自ら集めていたようなのだった。そこに、たまたま通りかかったのが、私。

「自分は真言宗の僧でありますが――構いますまいな?」
 厳密に言えば自分は『おしょう』では無くて、『わしょう』なのだ。まあ、今やその使い分けを正確に行なってくれる人間は、絶対的に少ない。

「和尚様あああああああああああ、とにかく、とにかく――お願いしんますお願いしんます――」

 懐に、辛うじて忍ばせていた香を立てた。本当に、この『仏』の量からすればささやかな量だ。それでも手早く着火し、般若心経の詠唱を開始した。過去、このような状態で読経したことがあっただろうか、とは自分でも思う。

 詠唱が終わり――香も尽きた。

 そんな老婆に、それを伝えようとして。



 老婆は、自分の袈裟の袂(たもと)を掴んだ状態で絶命していた。


 叫びそうになった。いや、叫んだかも分からない。


 ただ、覚えているのは。


 少なくとも、自分は、そんな老婆の見開きっぱなしの目は閉じてやった。

「――おんあぼきゃ」
(※筆者註:キリスト教で言う「AMEN」的なものだと判断して下さい。厳密には違うんですけれど……)



 呟いたことも、なんとなく覚えている。





 確実に覚えているのは。



 のっぺりとした広島市街を、私は呉に向かって、とにもかくにも歩き出した。


 それだけだった。




   ◆ ◆ ◆


 これはなんだ。


 な ん だ こ れ は ?



 死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死


 路端で、年端も行かぬ少女が頽(くずお)れている。

 いや、少女と断定できるのは、辛うじて、その衣服の辛うじて残った形状――

 防火水槽に頭から突っ込んで絶命している人々。もはや性の別もつかない。

 ずる剥けた皮膚を引き摺っている途中で命尽きたのか、さながら『影』を引くようにして倒れている子供。



「あああああああああああああああああああああああああああ!!」


 気付けば、絶叫している自分。なんだ、これは。これはなんだ。

 持っていた錫杖を、失ったのは多分、この時だと思う。同行二人――真言宗が始祖、空海御坊が共に、いてくれた筈なのに。なのに。

 そのあちこちから、呻き声とも付かぬ声。呪詛、或いはもっと――

 気が付けば、川へと向かって走り抜けた自分がいた。後の、『原爆ドーム』だったのだ、今思えば、自分のその時の場所は。

 しかし、私はそこでもっと『凄い』光景を目の当たりとすることになったのだった。


 川面を埋め尽くす、ぱんぱんに膨れ上がった人達の死体。屍体。


「おぶえぇっ」


 その正体を知った時には、自分は激しく嘔吐していた。その袈裟に飛沫が掛からないように、それが精一杯。

 その仕事柄、死体――仏と見(まみ)える機会は当然、多かった。それなのに。これは、人の死の在り方と呼べるものでは断じて無かった。



 おんあぼきゃ

 べいろしゃのう

 おんころころはりばたやうん






 自分の読経は届いただろうか。

 覚えていないんです。それは、本当にごめんなさい。

 もうね、本当に何も覚えていないんです。





   ◆ ◆ ◆

 何時間が経過したのか。いや、一時間も経っていないんだ。

 何しろ、数歩を進める度に呼び止められる。

「和尚様あ」

「お助け下さい」

「娘を――」

 事切れた者には念仏を。

 そして、未だ生ある者には励ましを。

 この状況下で、どう励ませるというのか。それでも、袈裟を着た自分を確認すれば、多くの人間が手を差し伸べてくる。

 時には見るからに先の無い幼子の、その額を撫でながら、自分は少しずつ呉へと向かう。

 なんだかんだと、実の弟を最優先に心配している自分。これはエゴイズムと呼べるものだったのかもしれないし、それを否定するつもりも無い。いずれにせよ、思考能力と呼べるものは当時の自分には全く存在していなかったと言っても良い。弟の健在、それを確認する――ただ、その一心。

 時折、その過程で有志による炊き出しが行なわれていた。幾らか、動ける人間の存在があることが数少ない慰めとはなったが。都度、ありがたく少しの握り飯と茶だけを頂きながら、自分はとにかく、歩みを進めるのだった。灰燼(かいじん)と化した、死人の街の中を。


   ◆ ◆ ◆


 元々、当てがあった訳でもない。ただ、呉の方へと向かえば何とでもなるのではないか。そんな漠然、茫洋とした感覚だけで歩き続けていたところ、巨大な穴を――今思えば、遺骸を埋める為のものだったのだろうな――掘っている学徒の集団に出会うことが出来た。動員されている彼等は、未だ正規の軍属では無いのだろうが、それでも。
「もし――」
 藁をも縋(すが)る思いで、監督然とした一人の青年に声を掛けた。
「和尚――どうかされましたか」
 その学生の真摯な応対に胸を撫で下ろしておきながら、自分が呉で動員されていた筈の弟を捜している、その旨を手短に伝えた。
「ううむ……お名前は?」
「光橋祐悟と申す」
「……しばしお待ちを」
 そう言うと、監督は穴掘りを続けている学徒達に対し、
「この名前を知っている者はおるかっ」
 と、震える程の大声で聞いてくれた。が、全員が一様に首を横に振り、穴掘りを再開する。本当に、ご苦労様としか言い様が無い。
「力になれず、申し訳ありません――ただ」
「ただ?」
「我々は、江田島の兵学校からここに急遽派遣されてきました。もし、その御仁が負傷されているとすれば、宮島の方の臨時野戦(病院)に収容されとるかもわかりません。和尚が行けるかどうかは確約できませんが、運が良ければ――或いは」
 泥にまみれた顔に、一瞬だけ歯を見せて、監督は自らもスコップを手に取って作業に戻っていった。
「ありがとう――」
「いえいえ……それより和尚――もし、帰り途上にこちらに寄られることがありましたら、是非お念仏の方を……」
「それは、お易いご用で」
 もう一度、今度はハッキリと、答えさせて貰った。



   ◆ ◆ ◆


 やはり、覚えていない。詳細を。

 体調が崩れていたこともあったかも知れない。尾籠な話だが、広島市街に着いてしばらくの時より、下痢が止まらなかった。幾つか要因に思い至るところは無いでもなかったが――何しろ、水も何もかも、『そこにあるもの』を摂っていたから――この時は、放射能被爆による副次被害によるものだとは思いもしなかった。貴重な漢方を直接、咀嚼(そしゃく)しながら歩き続けた。常であれば、とても水無しに飲めたものではない、真言宗は特殊漢方――しかし、その苦みと渋み、灰汁(あく)が間接的とは言え、どれ程の助けとなったことか。馴れることは未来永劫にないだろうという、表現しようのない屍臭が立ち込めている中で、味覚と嗅覚をある程度は麻痺させることが出来たのだ。

 こればかりは――臭いとその色彩だけは、その時、その場所に立っていた人間にしか理解できまい。繰り返しになるが――そこは、地獄だった。

(※筆者註:自分も幼少の頃よりお腹を下した時に、この爺に飲まされました。正露丸も真っ青、って程の、恐ろしく苦臭い薬です。これを直接、咀嚼しろって言われるんだったら俺は三日間の断食の方を余裕で選びます。そう言う薬です……ちなみに効果はもの凄いものがあります。それに、疑いはありません)



   ・
   ・
   ・

 ほとんど、偶然の内に乗り込むことのできた汽船――そして、気が付けば宮島。

 なかなか意志に従ってくれない、情けの無い二の足をどうにか使役しながら、傷病兵や負傷者が収納されているという、学校体育館へ臨時に設営された野戦病院へとその足を向ける。

 その間も、読経をせがまれ、或いは袈裟に縋り付かれ――を繰り返し、そんな体育館へと着いた時にはすっかりと日が暮れかかっていた。

「ううううううう」

「ああああああああ」

「おかあちゃあああん」

「みずみずみず、みずを――」

「だれかだれかだれかたすけてたすけて」

 踏み込んで、ざっと耳に飛び込んできた声声声声。

 板張りの体育館を埋め尽くす、人人人。

 動かなくなった幾人かが、担架に乗せられて運ばれていく情景を目の当たりとするに及び、自分はいよいよ自らの発狂を悟り掛けた。

 だって、


 だって、


 ここには


 『人間』がいない!!!!!




 尊厳???



 死ぬ死ぬ死ぬ。こうやって人間って簡単に死ぬのか。


 戦争とは、こうまでして――



 足元から力が抜けて、その場に崩れ落ちた。もう、疲労は極みに達していたし、何よりも精神が麻痺していたのだ。事実、休み無しに動き続けていたこともあったのだろう。自覚は全く、無かったが。もう疲れた、そんな言葉を呟きそうになった、しかし、そんな時。

「オイ、オボーさん、邪魔ッ!!」

 膝を突いていた自分の背中を押し飛ばしてきた、『もんぺ』姿の女学生の存在があった。その両手に、溢れんばかりの水を湛えた大型の薬缶(やかん)を携えて。

「あ、ああ――すいません」

「大体、坊主の来る所じゃ無い! 縁起悪いから早く出てけっ!!」

 あんまりと言えばあんまりの言われようではあるが、一面の事実でもある。それでも。
「――弟を捜しているんです。光橋と言う姓に覚えはありますまいか」
 一瞬振り向いた女学生は、無言で顎をしゃくり上げた。その方面に在ったのは壁。黒掛かった壁に直接、白墨で人の名前が刻まれている、臨時名簿とでも呼べるものだった。
「ありがとう」
 こちらのお礼には応じず、女学生は薬缶両手に奥へと消えていった。元より、望んでもいなかったのでこれは大したことではなかった。寧ろ、生気溢れるそんな女学生の姿を見ることで精神の平安が得られたぐらいだ。何しろ、市街に着いてより、出会ったのは死人か、或いはそれに近い人々だけだった。

 ともかく、私はそんな『臨時名簿』に目を落とし込んだ。

 酷く乱雑な、乱筆な――無理もないが。そもそも、名前が分かるだけで重畳なのだろう、ここでは。

 何度も繰り返し確認したが、弟の名前は終(つい)ぞ見付からなかった。

 名前が見つからないことによる安心か、或いは失望か。この極限に在れば、もう何が何やら分からない。

 複雑な面持ちで佇んでいると、『名簿』の書き足しにやって来た学徒がいた。
「和尚様、どうされましたか?」
 事情と経緯を簡単に説明した。すると、その学徒は首を一つ傾げた後で。
「自分を含め、比較的軽傷だった者は他で諸作業に当たっているかも分かりません。何しろ、動ける人間は貴重でしたから」
 なるほど、確かにその学徒も、擦り傷だらけの絆創膏まみれの状態ではあったが、しっかりとしたものだった。

 礼を述べ、一考する。さて、これからどうしたものか。その様な軍隊の事情があるとすれば、自分に出来ることなどは。事情も分からず、そして軍に融通の利く人脈の伝(つて)も無い身とあればやれることだって限られてくる。

 あんなボロ寺でも、いつまでも放置していくわけにはいかないのだ、その考えが浮かんだのは、この時だったと思う。

「戻るしかないか」

 意を新たとし、そして果たして、自分がどうやって広島は山奥から、この宮島にまでやって来たのかを思い返す機会が生まれた。

 結局、思い返せなかったが、帰るとなればどうとでもなろう。

 この体育館にいても、自分は場違いな存在であることは疑いなかったし、力の入り切らない腰をそれでもどうにか強制して、起ち上がった。戻ろう、愛すべきボロ寺に。

「お坊様――」

 呼ばれ、振り向けば先の威勢の良い女学生であった。

「何か?」
 自分でも、気の入っていない声だったと思う。

「このたった今の間に、五人が息を引き取りました――お念仏を賜れれば――先程の無礼をお詫びします」

 覚悟を決めた。

 弟が、祐悟が生きているのか、定かではなかった。けれど、自分に出来ることがあるのであれば。

「拙僧に出来ることであれば、なんなりと――」

 この時、どんな顔をしていたのかはやっぱり分からない。無理をして小さく笑みを浮かべたつもりだったが、どうだったか。


 それぐらい、分からないことばっかりだったのです。




   ◆ ◆ ◆


 結局、終わってみれば丸一日を宮島で費やしてしまった。いつ眠り、いつ起きたのかも自分では分からなかった。時季が時季であったから、野宿するのに事欠かなかったことは皮肉と言うべきか、或いは幸運と呼ぶべきなのか。

 江田島の学徒が正に出そうとしていた小船にその厚意で乗せて貰い、広島市街へと再び戻りながら、私は空を見上げた。

 綺麗な空だ。相も変わらずだな。

 陸(おか)の狸と化した軍艦が、数隻も港にその碇を降ろしている様を目の当たりとして、何故にあの爆弾の跳梁を許したのかと憤懣やる方が無かった。その為の軍隊なのではなかったのか。
(※筆者註:この時、広島で健在だった軍艦の所在は不明。つうか、機能していた艦って実は数える程しか無いのが史実です。調べてみましたが……もしかして、ジージが見たのは油を抜かれた戦艦『長門』か、『伊勢』の残骸だった可能性もあります。当人にその辺の知識が無かったこともあり、これは実に微妙なところです。それは申し訳ない)


   ◆ ◆ ◆

 結局、愛すべきボロ寺へと戻るのに、更に数日を要した。

 言うまでもなく、広島市街での学徒監督との約束を自分は遂行した。どこからか苦労して集められた香を一斉に焚き、やはりどこからか集まった人々の前で般若心経を詠唱した。誰もが涙を流していた。自分もそうだったと思う。

 しかし。



 この時の自分は知らなかった。と言うより、知っていたことなんて、何も。


 後で知ったことだ。


 ほとんど同じ時刻に、



 同じ爆弾が長崎に落ちていたことを。






   ◆ ◆ ◆

 ボロ寺で地元衆の狂乱めいた歓迎に応えながら――流石に、この時となれば事態の深刻さはこんな山奥にも伝わっていたのだ――自分はともかく、そんなボロ寺のボロ縁側に腰を落ち着けることが出来た。あの地獄からすれば、何という天国なのかと思う。何でもない、当たり前。それがどれだけ、掛け替えのないものであることか。陳腐な表現になるが、失ってみて初めて分かる、『当たり前』。日の常、日常とは良く言ったものだ……。

 実際に自分は半死半生の体(てい)で帰還したこともあり、相当地元衆に気を遣わせてしまったらしいが、しかしこれが。何と言うことは無かったのだよ。疲れはしたが。

 止まらない下痢だけが気掛かりだったが、こんなものは、ね。大したこと無い。


 そう、思っていた。






   ◆ ◆ ◆


 なんと、祐悟が自分以上の半死半生の状態で、それでも、ここへと戻ってきた!!


 ボロ寺に戻って、二日後のことだった。

 馴染みの駐在に肩を借り、全身を包帯に包まれた弟が、それでも自力で帰ってきたのだ。

「祐悟!」

「ああ――兄貴……」

 下半身だけが、海軍のズボン。それも、ところどころが血に滲んでおり、ある部分などは直接、その皮膚に『めり込んでいた』。

「祐悟!! お前、良く無事で!!」
 抱き竦めた私の力が強かったのか、弟は苦しそうな息を一つ。慌ててその身を開放した。
「宮島の――女学生が――俺とそっくりな坊主が――光橋某が――探しに来ていたって……」
 ああ、あの気の強そうなご婦人か――思い返しながら、しかし、それよりも。
「今、床の前へ通す!! すまない駐在さん、もうちょっとだけ肩を貸してくれ!!」



   ・
   ・
   ・

 取り憑かれたように水をがぶ飲みし、薄い粥を啜った弟は結局、その汚れた体を満足に拭くこともせず、布団へと倒れ込んだ。どうやら、命に別状は無さそうであったし、これはこれで健康的な寝息を立てている。慌てて呼んだ村の医者も、直ぐにどうこうということは無いだろう、と言ってくれた。

   ・
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   ・

 結局、弟は丸一日、眠り続けた。どうにか人心地が着いたのか、寝起きたその夕暮れ、ぽつぽつと事情、経緯を話し始めた。


   ◆ ◆ ◆

 あの日、呉の軍港における整備作業に従事していた弟は、最初に突然の爆音を自覚した、とまずは口にした。続いて、激しい爆風によって工場内の窓ガラスは全て吹き飛ばされたのだという。何秒、意識を失っていたかは分からないものの、気付けば瓦礫(がれき)の山に埋もれていたらしい。幸い、深刻な重量では無かったこともあり、重傷を負った人間は一人も出なかったらしい。が、工場の外で作業に当たっていた人間は一様に焼き爛(ただ)れ、正視に耐えうる状態ではなかっと言う。恐らく、自分が広島市街で見た光景と同じだったのだろう。不幸中の幸い、ともかく弟は深刻な重傷を負うことなく、健在でいられたのだ。

 その後は、宮島でとある学徒が予測していた通りの展開だったようだ。

 終戦間近の日本という国家、その人材の払底ぶりは目を覆わんばかりの状況となっていたことは誰だって知っているだろう。この時も、軽傷だった学徒は瓦礫の撤去作業並びに民間人も含むけが人の搬出、救急の命令を受けたとのことだった。もっとも、命令が無くとも自発的に動かなければならない、そんな惨状であったことは説明するまでもない。

 都合、二日間ほどの活動を続けたところ、正式に(どこまでが正規のものであったかは不明だったらしい)除隊命令が出て、ようやく行動の自由を得た弟は、宮島の野営でたまたま件の女学生から光橋坊主の話を聞き、とにもかくにも実家へ戻ろうと判断した。もっとも、交通機関などは半ばの壊滅状態であったから、帰宅するのには相当な時間と労力を要したそうだ。栄養状態も芳しくない身の上では、歩くことそれ自体も難儀したと言う。それでも、多くの人達の有形無形の親切を受け、どうにか帰宅へとこじつけることができた。

 一連の話を聞いて、御仏に感謝を捧げた。

 不幸は不幸であったが、一抹の光が残っている。願わくば、そんな光と希望が、一つでも多くありますように。




   ◆ ◆ ◆


 広島と長崎に二発の原子爆弾を落とされた日本に、もはや抗う力などは、一抹も残されていなかった。一つの組織としての結束力ですら、果たして存在していたかどうか。

 かくして、昭和二十年八月。

 日本は、敗北を喫した。



   ◆ ◆ ◆

 国家という存在、大日本帝国は消滅した。

 しかし、旧構成員としての元国民は、人間は残される。

 戦争という『状態』は終結し、表現上の『平和』が誕生した。しかし、敗戦国としての『日本』に残された矜恃(きょうじ)、尊厳はその実態から懸け離れ、あまりにも惨めで、そして酷なものだった。

 原子爆弾投下による放射能汚染に苦しめられた人々の例は枚挙に暇がない。彼等は、戦後数年、或いは十年を経て尚、苦しみ、そして死ななければならなかった。そんな人達の犠牲があってこそ、原子爆弾という大量破壊兵器が『人道に悖(もと)る』兵器として認識されることになった。人類にとり、核兵器という大量殺戮兵器のリアリティ――現実性が初めて見えた瞬間なのかも知れないが、その『生きた実例』『死んだ実例』として、広島、長崎『市民』は非戦闘員であるのにもかかわらず焼き殺されなければならなかったのだ。


 敗戦直後の日本国民は、誰であれ多かれ少なかれ、苦労はした。戦傷に苦しむ復員兵、貧しさを根源として自然派生する暴力事件、今の日本国からは考えられない程の凶悪事件が頻発する中、それでも続く、いつに続くとも知れぬ『希望在る明日』の為に、日本人は歩き続けなければならなかった。

 戦争に負けると言うことは、そう言うことなのだ。

 歴史は勝者が作る。



 米兵の殺戮は正しい殺戮。

 日本兵の殺戮は悪い殺戮。


 さすがのアメリカ人でも、ここまでハッキリと口にする人間はそうそういるものではない。

 しかし、肝心の、当の日本で、日本人として、或いは『日本人を装って』声高に叫ぶ連中がいる。

 自分は、そう言う人間を許すつもりはない。それは、もっとも恥知らずで愚かな行為でしかない。侮辱でしかない。

 が、とかくそう言った連中の『声』が大きく響いているのも現実。そして、それを更に煽っている連中もいる。今だって聞こえるだろう??

『日本人は反省を知らない恥知らずの民族』

 だとか

『世界中から嫌われている国、日本』

 だとか。

 事実は、往々にして異なっているのだが、それを認めたがらない連中がいるんだ。

 戦後、ずっと連綿と続いてきた流れだ。そして、それらの跳梁を許したのは、誰だろう。こんな自分も、その責任から逃れることが出来るとは思わないよ。事実、こうして君(達)に、今、初めてこうして話をしているんだよ。実を言うとね、僕は実の息子や娘にもこんな話はしたことないよ、出来なかったんだよ、祐希。

 今のこの時代、そして――何よりも、アメリカで幼少期を過ごしてきた君が、『真っ当な』歴史認識を『何故か』持っていることに驚いて、僕はこの話をしている。

 祐希。

 日本人であることは、決して恥ずかしいことなんかじゃないんだぞ。

 胸を張るんだ。


   ・
   ・
   ・

 ん???

 なんだって???

 肝心の話が無いじゃないか、だと??




 やめてくれよ、恥ずかしいってばよ。この、馬鹿孫が!


   ・
   ・
   ・

「婆ちゃん、ついでにビールの追加、持ってきて!」
 僕、光橋祐希は、台所へお茶を入れに行った実祖母の動きを見逃さなかった。
「やあれやれ、しょうのない孫だこと……年老いたババを使役するとは」
「いいじゃん、それぐらい動いた方がボケないぜ!」
 広島菜(※筆者註:野沢菜みたいなもの……って言うと、広島人は異様に怒りますのでご注意を)の漬け物を口に運びながら、僕は空瓶を振って見せた。
「口だけは達者よな――早く、曾孫(ひまご)を見せるぐらいの気概を見せてちょうだいよ」
 この一言には、さすがに抗えなかったかなあ。でも、婆ちゃんはちゃんと冷えたビールを持って来てくれたのさ。
「婆ちゃん、愛してる! さ、爺さんもう一杯!」
「いや、僕はもう充分。祐くん、呑みな」
 すっかりと酒が弱くなった爺ちゃん。寂しくはあったが、遠慮無しに栓抜きでポーン。グラスに注いだラガークラシックをぐびぐびぐびっと一息。ぷはー。

「で、婆ちゃん?? 爺ちゃん気恥ずかしいらしいですけれど、お二人の初対面は??」

「爺ちゃん、宮島の野戦で背中を陰気に丸めてたの。そりゃあ、もうね、邪魔だったわ!!」

「やめーーーーーーーーーい!!!! 祐希も摩白(ましろ)も人が悪いぞ!!」

 お酒の所為だけでなく、赤くなったそんな祐滋お爺ちゃんの逆ギレを、腹を抱えて笑いながら、今は明石で達者に暮らしている祐悟おじさん(厳密に言うとお爺ちゃんの弟だから、大オジサンとでもなるんだろか)がこの場所にいたら、どうなるんだろうかと思ったりした――ら、口にしていた。

「ねえ、また祐悟おじさん呼ぼうぜ。色々、おじさんの方からも話を聞いてみたいなあ」

「いっかーん!! この話題をするんだったら断固拒否する!!」




 僕は、この一族に産まれて良かった、心からそう思った。




 いつでも、人の世に、光の在らんことを。


 



   ◆ ◆ ◆



 僕、光橋祐希は被爆三世です。

 でも、二次被爆を受けた爺ちゃんも、そして実は一次被爆の祐悟おじさんも、後遺症が深刻なものとなった、ってこともなく(下痢が止らない程度だったみたいです)。それぞれ、立派な家庭を築くことが出来て、今に至っています。これは、本当に幸運なのでしょう。中には、終戦十年後に後遺症で亡くなった方々もいらっしゃいます。苦しんで苦しんで苦しんで、それでも生き抜いている方も。そんな方達の生き様とか経緯を、自分を含めた今の日本人は知らなさすぎると思います……。

 僕は、日本が『正義』だったとは思いません。同時に、諸外国が『正義』だったとも思いません。

 寧ろ、軍事的解決以外に方策を見出せない愚かさは双方とも『悪』のそれに由来があったのではないでしょうか。まあ、当時の日本の追い込まれ状況は実は『人種』的なものもその根底にありましたし、植民地支配と言う政策自体も当時の国家観では『悪徳』では在りませんでしたから、今の価値観で語るのも正しくはないかと思います。

 ただ、いずれにせよ。

 無辜(むこ)の市民が生きたまま焼き殺されたことは事実です。

 それを正当化する為に、そこそこ必死な人達がおりますし、その尻尾にぶら下がって日本の立場や地位を兎角(とかく)、陥れようとしている人達もいます。

 実際にその動きがあまりにも『目に余った』ことがあり、僕は今回のこの非常に政治的な問題、ある意味でのタブーに取り組んでしまうことになりました。RLと言う未来の戦争小説を書いている反面で、この問題をスルーすることはどうしても出来なかった……。でも、やってみて良かったと思う。正直、ノン・フィクションとしては褒められた出来ではないでしょう。可能な限り、自分は聞き手に徹して書き下ろしてみたつもりですが、観る方のスタンスによっては不快に感じられる面があるかもしれません。

 しかし、先に断っておきますと、フィクション要素を加えたのは結局、人物名ぐらいなものにしかなりませんでした。あと、地名ですか。素性バレが怖い、とまでは言いませんが、デリケートはデリケート(実は全然そう思いませんけどね)なので、この措置に。

 日程その他、設定(?)が、微妙に怪しいところはあるかもしれませんが(呉の軍艦とかね)差し当って爺さんの語りの雰囲気を優先することとなりました。まあ、『証言レベル』の話と言われればその通りでしょうね。なんら、歴史資料的価値は無いでしょう。それは分かっています。




 広島も、長崎も。



 僕は、とても忘れることはできません。




 こんな文章を書くことしか僕には出来ませんでした。

 が、少しでも、例え一人でも、この出来の悪いノン・フィクションを読んで、『原爆と日本』について考えられる切っ掛けとなってくれれば、それでいいのです。


 最後に。ちょっと卑怯かもしれません。

 恥ずかしくて、なかなか言えないんですが、実は僕、今まで数多、描いてきたRLのエピソードの中で、一番好きな台詞があるんです。

 それを引用して終わらせて良いですか。



 体制に対して叛旗を翻すことが、ややもすると新たな戦乱を産むのではないか、と言う一人の女性の質問に対する、主人公の答え。


   ◆ ◆ ◆

「答えは――出たのかい?」
 座り込んでいる床面から、立ったままのベアトリイチェにその顔を上げて、クリストファはそれだけを尋ねた。
「わかりません――だけど――」
 言葉を切って、ベアトリイチェは床に膝を付け、その目線の位置をクリスと同じ高度に運んできた。
「考え続けなくてはならない問題である――艦長はそう言いたいのですよね?」

   ◆ ◆ ◆

 これに対して、実は主人公であるクリストファ・アレンはまともに答えません。しかし、結論から逃げている訳じゃないんですよ。多分ね。

   ◆ ◆ ◆


「そうだな。僕は価値観の押しつけは好きじゃないけど――敢えて押し付けるのなら、『考える』、『悩む』と言う行為は決して無駄で無為なものではない、ってところかな。世の中に真っ黒いものなんてないし、真っ白いものだって存在しない。言うまでもなく、正義と悪の線引きがどこにあるのかなんて――さ」

   ◆ ◆ ◆


 考えて、悩む。答えはないかも知れませんけれど。

 少なくとも、そう努力していれば間違った方向に転ぶことは無いと思うんだ。


 本当、出来の悪いノン・フィクションだったと思いますが、この辺で締めさせて頂きたいと。

 皆様が何かを考える、その切っ掛けとなってくれれば自分としては言うことは何もありません。




 最後の最後。


 古今を問わず、そして、あらゆる『戦闘活動』で亡くなった全ての人間に、哀悼の意を表したいと思う。

 その魂に、安らぎあれ。


 人の世に、光あれ。







posted by 光橋祐希 at 20:07| 短編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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